牛尾治朗氏が死去 92歳、元経済同友会代表幹事
ウシオ電機創業者で元経済同友会代表幹事の牛尾治朗(うしお・じろう)氏が6月13日午前2時55分、誤嚥性肺炎のため死去した。92歳だった。連絡先は同社経営統括本部秘書チーム。お別れの会を行うが日取りなどは未定。
1953年に東大法学部を卒業後、東京銀行(現三菱UFJ銀行)に入行。64年にウシオ電機を創業し、社長に就任した。若手経営者時代から財界で積極的に活動し、81年に「土光臨調」と呼ばれた第2次臨時行政調査会の専門委員に就任。95年4月から99年4月まで経済同友会の代表幹事を務めた。KDDI会長や日本郵政の取締役も歴任した。
政界とのパイプも太く、政府の経済財政諮問会議の民間議員として当時の小泉純一郎首相の構造改革を後押しした。社会経済生産性本部(現・日本生産性本部)の会長も務め、東日本大震災後には経済界、労働界などの横断的な提言組織「日本アカデメイア」を設立した。
1999年10月、日本経済新聞に「私の履歴書」を連載した。
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